布袋戯

布袋戯




Nunofcroodoke
 [2]   布袋戯の歴史


[1]はじめに
 布袋戯は、指人形を使った伝統的人形劇です。 別名『掌中戯』(しょうちゅうぎ)
とも呼ばれ、人形遣いの鮮やかな手さばきと巧みな話芸によって物語が展開さ     
れて行きます。 その歴史は古く、今から350年ほど前に福建省泉州の、
梁炳麟(りょうへいりん)という書生によって創始されたものと言います。
 
 言い伝えによりますと、彼は博学で挙業によって身を起こそうと、しばしば
科挙に赴きましたが、なかなか志が遂げずにいました。
そんな時、彼の夢に老人が現れ、彼の手のひらに「功名掌上に帰す」という一句を
記しました。 喜んだ彼は意気揚々と科挙に赴きました。 しかし結果は不合格。
その時隣家で演じられていた〔傀儡戯〕(糸操り人形劇)によって、その傷ついた
心を癒そうとします。 
ところが、糸操り人形を思うように操るには時間が掛かりました。 
そこで彼はもっと簡単に操る事の出来る指人形を考案して、日夜芸の上達に励みました。
かくして、彼の演ずる人形芝居は一世を風靡しました。 こうして彼は初めて老人が記したことばの意味を理解したといいます。
 
[2]台湾布袋戯の歴史
 
 さて、台湾における布袋戯の歴史は、およそ4つの時期に分けることができます。
 
第1期
 第1期は台湾が日本に割譲されるまでの南管時代。
この時期の布袋戯は、清朝読書人たちの文人趣味に支えられて、文雅な
南管音楽を伴奏とする南管布袋戯が主流でした。
 
伝播初期における布袋戯
 
1, 嘉慶年間『晋江県誌』:「近復有掌中弄巧、俗名布袋戯」
2, 十九世紀中葉以降、泉州,[シ章]州,潮州から台湾各地に伝播。
3, 南管,白字戯仔,潮調等、南方の唱腔音楽を用いた「籠底戯」または「文人戯」
 
 
第2期
 第2期は日中戦争が始まるまでの北管時代。
この時期、読書人の没落によって南管布袋戯に代わって勇壮な北管音楽
を伴奏とする、〔武戯〕(立ち回り劇)中心の北管布袋戯が台頭しました。
 
日本植民地時代の布袋戯 1
 
1, 「正本戯」:北管を採用。『三国演義』や『楊家将演義』などに取材。武戯が多い。
2, 「小説戯」:歴史演義小説に取材した連台戯。 続きもの。
3, 「剣侠戯」:超人的能力を持つ剣客たちが活躍する任侠物。
4, 彩楼と花園派偶頭:伝統的な布袋戯のイメージの核となる。
 
第3期
 第3期は皇民化運動時代。
この時期、一切の伝統的演目の上演を禁止された布袋戯は、一部の劇団が
「鞍馬天狗」や「水戸黄門」といった皇民化劇を演じていたほかは、
ほとんどの劇団が活動を停止しました。
 
日本植民地時代の布袋戯 2
 
1, 日中戦争勃発以降、芸能統制強化。後に布袋戯禁演。
2, 皇民化運動開始、娯楽委員会設立。
3, 黄得時による布袋戯版『国姓爺合戦』、『月形半平太』、『水戸黄門』等の創演。
4, 七つの布袋戯劇団、演劇挺身隊として皇民劇の上演に従事。
 
第4期
 第4期は終戦後の復興から現在まで。
終戦後、再びその活動を開始した布袋戯は、その後目覚しい復興を遂げ、
劇団数も58年には188、78年には402を数えています。
しかしながら、テレビの普及などに伴い、興行演劇にもより高い娯楽性が
求められるようになると、従来の南管布袋戯や北管布袋戯などの『古典布袋戯』
は次第にその姿を消し、代わって『下江布袋戯』と呼ばれる、やや大ぶりの
人形を使った新興布袋戯がさかんに演じられるようになりました。
また、近年には派手な照明効果やシンセサイザーによる伴奏などを売り物
とする『金光戯』(きんこうぎ)や、特撮効果をフルに利用した『電視布袋戯』
(テレビ布袋戯)が登場して、布袋戯はいま、その姿を大きく変えようとして
います。
 
戦後の布袋戯
 
1, 戦後の解禁による隆盛と二二八事件による内台戯形式への移行。
2, 反共抗俄劇の時代。
3, 金光布袋戯の出現:金光に守られた不死身の肉体を持つ剣客達の活躍する芝居。
4, 人形の巨大化と舞台装置の多様化。
 
電視布袋戯の出現
 
1, 1962年に台湾電視台(テレビ局)開設、布袋戯のテレビ放映開始。
2, 1970年に黄俊雄の『雲州大儒侠史艶文』放映開始、大ブームに。
3, 黄俊雄、後に専用のスタジオを設立し、電視布袋戯のスタイルを確立。
 
電視布袋戯から霹靂布袋戯(へきれきふたいぎ)へ
 
1, 黄俊雄の息子、黄強華、黄文択兄弟、1989年に霹靂節目録製有限公司を設立。霹靂布袋戯のビデオシリーズを製作。
2, 1995年、霹靂衛星電視台を設立、霹靂布袋戯のテレビ放映を開始。
3, 1999年、映画『聖石伝説』完成、翌年公開。
4, 2006年アメリカのアニメ専用チャンネルで霹靂布袋戯の放映開始。
 
伝統布袋戯への回帰
 
1, 1960年代末から伝統文化再評価の機運が高まり、布袋戯はその
 代表格として重視される。
2, 人間国宝の指定、西田社布袋戯基金会などの設立など官民で
 布袋戯熱高まる。
3、彩楼と花園派偶頭が文化財として珍重される。
4, 各布袋戯劇団も伝統的スタイルを前面に出すようになる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
update:
H18年11月18日(土)